GW中に書き溜めた好きなもの&仕事シリーズを事前に送りつけた上で、
姐さんのコーチングを受けた。
いやぁ――。
以前相談相手からは、
「桂さんは手紙文章のほうが心がある」
って言われたけれど、姐さんからは逆に、
「文章読んでると頭だけが回りすぎていて、
心や体が置いてきぼりになってる印象がある。
桂さんは、どうなりたいの?どうしたいの?」
と言われて。
結局自分はどうなりたいのか。
話しているうちに・・・何で生きているのか、久しぶりに思い出した。
****
私の人生の最終目的は、自分の中に美しい夢物語を作ることで。
その物語には、あの世界や自然、人間の、カラフルな宝石のような美しさが詰まっているはずだから、その宝石を集めるために30歳までには、この国から自由になりたい。
「できるようになりたいこと」と、そのために「やるべきこと」を、
「やりたいこと」と混同しない。
「やりたいこと」のために「できるようになりたい」ことがあって、
そのために、「やるべきこと」があるのであって、「できるようになる」ことがゴールではない。
私のゴールとは―――
例えば旅の道連れの異邦人たちと、夕暮れのモン・サン・ミシェルへ続く道を歩いている時に、ふと傍らに見えた虹。
例えば、ケンドルの丘の上で1人胡坐をかいて飲んだビールと、遠くに昇る汽車の煙。
例えば、イスタンブールの気球から眺めた、眼下に広がる夕暮れの景色。
この美しくも広大な世界と、サシで対峙すること。
世界を丸ごと、全身全霊で味わうこと。
圧倒的な孤独の中で、世界と一体感を得ること。
自分も世界の一部であり、世界は自分であると実感すること。
そのためには、言葉が邪魔だ。
周りの抱く自分のイメージや、過去にまつわる情報が邪魔だ。
だから私は1人で、海外に行かねばならない。
ちょうど高校時代、知り合いのいない大学で1人暮らしを始めたように。
自分に欠けているもの、心に体、愛や豊かさを知るために、
私はこの会社に入って介護やサービス、人間関係を学んだ。
努力の甲斐あって、人付き合いの幅はずっと広がった。
これこそが「やりたかったこと」だったと、思えたこともあった。
でも あの 世界の美しさを忘れるわけにはいかない。
女子高では人付き合いが上手くいかないくて、
そのコンプレックスを克服するため大学からがんばってきたけれど、
結局のところ私は人に囲まれていても、一時的な快楽しか得られない。
人は好きだ。
自分にないものを持っていて、世界の幅が広がるから。
でも人付き合いは私の最終目的ではない。
より深く世界を味わうための、手段であり、技術でしかない。
宝石のようにきらめく人々。
彼らと上手くやっていくのは大切だし、願いでもあるけれど、
あの 世界に裸で飛び込んでいく体験に比べれば、
過ごした時間が色あせるのは格段に早い。
一人旅中の、あの魔力のような解放感。
自分がなくなるような、自分自身から自由になるような。
それ を得るために。
それ を得て美しい物語をこの身の内に紡ぐために。
私はこれから生きるのだと、我に返った。
****
というわけで、ひとまず部屋を改装しようと思った。
なんつーか、この部屋こそ「やるべきこと」優先の諸悪の根源なんだよな。
機能的だけど、全然豊かさや色気がない。
住みやすいけど、前に進めない。
でも考えてみれば、他人や会社と過ごしたり、
衣食住にまつわるMUST以外の「自分のための人生」は、
この空間で過ごすことがほとんどである。
なら「生きる元気が出る部屋」にしたい。
帰ってきたら「さあ、生きるぞ!」ってがんばれるような。
この国から自由になって、大空に羽ばたくためのパワーが満ちるような。
夢は現実と繋がりのない蜃気楼であったと思い知り、壁でも盾でもあった父親が倒れて、
突然支えをうしなったところにシビアな現実を突きつけられたようで呆然としたけれど。
親という道しるべと蜃気楼のオアシスを同時に失って、
代りに得たのは自分自身の魂と、いつか辿り付ける街並みなのかもしれない。
つーか、たどり着く。
そのために、自分は生まれたのだから。
姐さんのコーチングを受けた。
いやぁ――。
以前相談相手からは、
「桂さんは手紙文章のほうが心がある」
って言われたけれど、姐さんからは逆に、
「文章読んでると頭だけが回りすぎていて、
心や体が置いてきぼりになってる印象がある。
桂さんは、どうなりたいの?どうしたいの?」
と言われて。
結局自分はどうなりたいのか。
話しているうちに・・・何で生きているのか、久しぶりに思い出した。
****
私の人生の最終目的は、自分の中に美しい夢物語を作ることで。
その物語には、あの世界や自然、人間の、カラフルな宝石のような美しさが詰まっているはずだから、その宝石を集めるために30歳までには、この国から自由になりたい。
「できるようになりたいこと」と、そのために「やるべきこと」を、
「やりたいこと」と混同しない。
「やりたいこと」のために「できるようになりたい」ことがあって、
そのために、「やるべきこと」があるのであって、「できるようになる」ことがゴールではない。
私のゴールとは―――
例えば旅の道連れの異邦人たちと、夕暮れのモン・サン・ミシェルへ続く道を歩いている時に、ふと傍らに見えた虹。
例えば、ケンドルの丘の上で1人胡坐をかいて飲んだビールと、遠くに昇る汽車の煙。
例えば、イスタンブールの気球から眺めた、眼下に広がる夕暮れの景色。
この美しくも広大な世界と、サシで対峙すること。
世界を丸ごと、全身全霊で味わうこと。
圧倒的な孤独の中で、世界と一体感を得ること。
自分も世界の一部であり、世界は自分であると実感すること。
そのためには、言葉が邪魔だ。
周りの抱く自分のイメージや、過去にまつわる情報が邪魔だ。
だから私は1人で、海外に行かねばならない。
ちょうど高校時代、知り合いのいない大学で1人暮らしを始めたように。
自分に欠けているもの、心に体、愛や豊かさを知るために、
私はこの会社に入って介護やサービス、人間関係を学んだ。
努力の甲斐あって、人付き合いの幅はずっと広がった。
これこそが「やりたかったこと」だったと、思えたこともあった。
でも あの 世界の美しさを忘れるわけにはいかない。
女子高では人付き合いが上手くいかないくて、
そのコンプレックスを克服するため大学からがんばってきたけれど、
結局のところ私は人に囲まれていても、一時的な快楽しか得られない。
人は好きだ。
自分にないものを持っていて、世界の幅が広がるから。
でも人付き合いは私の最終目的ではない。
より深く世界を味わうための、手段であり、技術でしかない。
宝石のようにきらめく人々。
彼らと上手くやっていくのは大切だし、願いでもあるけれど、
あの 世界に裸で飛び込んでいく体験に比べれば、
過ごした時間が色あせるのは格段に早い。
一人旅中の、あの魔力のような解放感。
自分がなくなるような、自分自身から自由になるような。
それ を得るために。
それ を得て美しい物語をこの身の内に紡ぐために。
私はこれから生きるのだと、我に返った。
****
というわけで、ひとまず部屋を改装しようと思った。
なんつーか、この部屋こそ「やるべきこと」優先の諸悪の根源なんだよな。
機能的だけど、全然豊かさや色気がない。
住みやすいけど、前に進めない。
でも考えてみれば、他人や会社と過ごしたり、
衣食住にまつわるMUST以外の「自分のための人生」は、
この空間で過ごすことがほとんどである。
なら「生きる元気が出る部屋」にしたい。
帰ってきたら「さあ、生きるぞ!」ってがんばれるような。
この国から自由になって、大空に羽ばたくためのパワーが満ちるような。
夢は現実と繋がりのない蜃気楼であったと思い知り、壁でも盾でもあった父親が倒れて、
突然支えをうしなったところにシビアな現実を突きつけられたようで呆然としたけれど。
親という道しるべと蜃気楼のオアシスを同時に失って、
代りに得たのは自分自身の魂と、いつか辿り付ける街並みなのかもしれない。
つーか、たどり着く。
そのために、自分は生まれたのだから。
