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2008/04/12 (Sat) 対岸の彼女
対岸の彼女 (文春文庫 か 32-5)対岸の彼女 (文春文庫 か 32-5)
(2007/10)
角田 光代

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『空中庭園』『だれかのいとしいひと』が面白かったので、
直木賞受賞作の本作にも手を伸ばしてみた。

同じ大学を出た同年齢の子持ち主婦・小夜子と独身の女社長・葵が主人公の、
女同士の友情がテーマの話。

5年間のブランクを経て再就職した小夜子&雇用主葵の現在と、
田舎の女子高時代の葵とナナコの友情が交互に描かれる。

公園デビューが上手くいかず、社会から隔絶される自分に危機感を感じ、
再就職活動をはじめ、葵の下で働くことになった小夜子。

中学ではいじめられ、女子高ではグループ・カースト制で怯え、
初めてできた親友を「奇跡」と感じる高校生の葵。

主人公2人はどちらも「友達を作るのが下手な不器用な女性」として描かれる。

でも、読んでいて思った。
簡単に友達ができないのって、当たり前だよなあ。
社会人になってから思うんだけど、友情って愛情以上に曖昧な言葉だ。

たまたまクラスで席が同じで、毎日お昼をいっしょに食べる人は友達か?
グループではよく遊ぶけど、サシでは話したことのない人は友達か?

私の定義では両者とも友達ではない。
便宜上、前者は「クラスの友達」後者は「仲間」と分けているけど、
地縁や状況によって他人と仲良くなるのと、友達になるのは全然違う。

友達なんて数年に1人できればいいようなもの。
ある意味、恋人みたいなもんだと思う。

でもクラスや職場で1人きりでいるのは色々不都合だし退屈なので、
地縁や状況によって人は人と寄り添う。
互いに心底惹かれている訳じゃないから、ギクシャクすることもあるけど、
互いにプラスな影響を受けようと望むなら面白いことだってたくさんある。

よい悪いではなく、人間関係ってそーいうもんだろう。
互いに心底惹かれてるわけじゃないから、継続するには努力を要するし、
立場や状況が変わってくれば、続ける意味さえなくなる。

「立場が違う人間同士に友情は成立するか?」
成立しないようなら、それは初めから友情ではない。

友情はあらゆる困難に打ち勝つ相思相愛の感情。

確かに互いが変化していく中で風化することもあるけど、
それは立場が変化したことが問題なのではなく、
惹かれあった部分そのものが変化したことが問題。

かつて成立していた友情が片思いに転化したり、風化することもあるけど、
立場が違うから成立しない、なんてことは断じてないように思う。

で、そこを誤魔化せないのを「不器用」と呼ぶなら、
確かにこの二人は不器用だと思う。

中学時代の葵は中学で友達に出会えず人間関係の築き方がわからなかった。
高校時代の葵は人間関係に努力するものの、渇望していた友達ができ暴走していく。
大学の海外旅行を経て人間関係のコツのようなものを会得し、女社長の現代に至る。

あー なんか、すっげぇ分かる。
それでいいんでないの?って思う。

中学高校の人間関係なんて、相手も人間関係の構築法を分かってないので、
それ以降と比べて失うものも多いように思う。

だから趣味とか価値観を頼りにグループとして寄り集まるんだけど、
不幸にもその集団の中でマイノリティになってしまうと、
余りもの同士で集まるか、孤立するしかなくなる。

一方で人間関係は状況によってすぐ解消されるけど、
構築するための努力で培われた人間力は後々まで残る。

例えば職場や家庭の人間関係から逃げ出せなくなったとき、
「誰とでも仲良くなる力」=人間力
は不幸を減らすために役立つ。

でもそんなの自分で集団を選べるようになってから身につければいい話で、
嫌な思いをして鍛えた精神力や、妥協せず守った自我は必ず将来役立つ。

また小夜子みたいに大人になっても身に付かない人でも、
相対的に周囲の人間力は上がってくるし、集団も選べるようになるから、
誠実さとかまじめさとか、自分のウリを磨いておけばなんとでもなる。

人間関係にことを発した息の詰まるような状況を描きつつも、
終わり方といい、希望が抱ける話だった。

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