2008・12
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2007/02/04 (Sun) 親がいなくなると子は育つ。
なんか最近ようやく、母親が死んだ上に父親が半分死んだ、
という事実を受け入れられるようになってきたわけですが。

親が死ぬたびに、いやがおうにも無理くり自立させられてる気がする。

思うに親って、唯一自分の人生の責任を取ってくれる他人だ。

例えば私が病気で倒れたら、親が無償で面倒見てくれるはずだった。
例えば私は留学のために、親に無利子で借金するはずだった。

いなくなって初めてわかる。
自分がどれ程親に甘えていたか。

かつて母親が死んだ時、私は劇的に変わった。

母親は私の目だった。
代わりに選択肢を用意したり、解決法を提示してくれる人だった。
私は母親に依存した人生を送っていた。――生前は、気づかなかったけれど。

例えば食べるものも着るものも母親が選んでいたし、
志望校も母親が集めたパンフレットから選んだ。
きっと母親が生きていたら、就職先も住居も、
母親の示す選択肢の中から選んでしまっていたと思う。

母親がいなくなって初めて、私は自分の人生全てに責任を持つ覚悟をした。
自分や周りを徹底的に分析して、最良の人生を計画的に生きようと思った。

父親が半分――社会的に死んで、また私は変わろうとしている。

父親は私の壁だった。
越えなければならないライバルであり、支えてくれる後ろ盾だった。

父親の力を使って、父の鼻を明かすことが、
物心ついてからの私の生き方だった気がする。

子供の頃の夢は弁護士。
別分野でありながら、医師と同じだけの社会的名声と収入を得られる。

高校時代、私は国立の教養学部系で1人暮らしすると決めた。
学歴主義の父親に匹敵する大学で、父親が味わえなかった自由を堪能したかった。

そして大人になってからも、私は留学を目指した。
父親に無利子の借金をして、父を超える学歴と年収を手に入れる。

成長して自由になって、世界と対等になる、というのは、
私自身の奥底にある根源的な欲求だが、
それと学歴主義の父親に対する確執とが渾然一体となったのが、
MBA留学という夢だった気がする。

小学校時代、学歴主義の父親に、
「次のテストで90点以上だったらパソコンを買ってあげる」
「次のテストで順位下がったら犬を保健所へ連れて行く」
 と成績の競走馬のように扱われてから。

「自分が今ここから飛び降りれば、犬は死ななくて住むだろうか」
 とベランダで1人すすり泣いたり、
「勉強は好きじゃないけど、パソコンはほしいから」
 と吐きそうなほど勉強することに慣れてから。

私は父親の力を使って、父親を見返すために生きてきた気がする。


でもこれからは、自分の力で、自分のために生きなければ。


両親が死んでいくと、世界から切り離されていく感じがする。
というか、今更ながらに自分が世界と繋がっていたと気づく。

母親が生き返ることはないし、
父親が脳溢血から完全回復することはないだろう。

私が子を産まない限り、もう同レベルの肉親はいないわけだ。
恋人や夫婦と言えど所詮他人、弟や祖母はやっぱり四分の一関係だし。

なんだか生まれ変わったような気分だわ、とようやく現状を受け入れる。
生き方を変える必要を感じる。

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