![]() | スプートニクの恋人 (講談社文庫) (2001/04) 村上 春樹 商品詳細を見る |
本書を読むのは2回目のはずだが、粗筋を全く覚えていなかった。
おそらく当時は、私の心に響かなかったのだろう。
内向的な青年「ぼく」とエキセントリックなヒロインすみれ、
またすみれの想い人であるミュウを巡る物語である。
すみれは以前読んだ「スイッチ」の主人公・苫子を思い出させた。
自我が強すぎて、世の中に適応する事が出来ない。
私がこの物語で一番好きなのは、主人公とミュウの独白だ。
まずは、
「ぼくは子供の頃からずっと一人で生きてきたようなものだった」
から始まる主人公の独白。
子供の頃よく空想した、どこかの町にいる本当の家族。
「小さくて質素だけど、心が安らぐ家だった。
そこではみんなが自然に心を通いあわせることができたし、
感じたことをなんでもそのまま口にすることができた
(中略)
学校でも親しい友達は何人かいたけれど、
心を開いて話をできる相手にはめぐり会えなかった。
毎日顔を合わせれば適当に話をして、いっしょにサッカーをやっていただけだ。
(中略)
しかし大学生のときに、ぼくはその友だちと出会って、
それからは少し違う考え方をするようになった」
そして独白ははじめの呟きへ戻る。
「ぼくはその友だちのことが好きだった。とても好きだった。
(中略)
それでね、その友だちがいなくなってしまったら、
ぼくにはもう誰も友だちがいないんだ。
ただの一人もいない」
****
次に、
「私にはなにかかが欠けているんだということが(中略)
感動的な音楽を作り出すために必要な人としての深み、
とでも言えばいいのかしら」
から始まるミュウの独白。
「わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、
弱い人々について理解しようとしなかった。
幸運であることに慣れすぎていて、
たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。
健康であることに慣れすぎていて、
たまたま健康ではない人たちについて理解しようとはしなかった。
(中略)
当時のわたしの人生観は確固として実際的なものではあったけれど、
温かい心の広がりを欠いていた。
(中略)
とにかく一流のピアニストになりたいという思いで頭がいっぱいで、
回り道や寄り道をすることなんて考えもしなかった。
自分になにが欠けているのか、
その空白に気がついたときにはもはや手遅れだった」
****
2人の独白を読んでいて思い出すのは、花瓶のだまし絵だ。
内向的で心豊かな少年は、淋しくて臆病で孤独な人間でもあるし、
前向きで自立した強い少女は、視野が狭く心の乾いた人間でもある。
どんな人間にも傾向はある。人は全てを取ることはできない。
自分の傾向を把握するのは難しい。
取り返しの付かないような出来事が起こって初めて、
その「傾向」が浮かび上がったりする。
時に人は他人を求め、欠けた部分を補おうとする。
でも人はそれぞれ別の人生を歩んでいるから――
偶然ぴったりと補える人と出会えたとしても、
やがては別れたり、関係が変わったりする。
花瓶のだまし絵。
花瓶が見えているとき、向かい合った人は消えて、
向かい合った人が見えるとき、花瓶はどこかに行ってしまう。
何かを取れは、何かは失われる。
安定しようと思うほどに、人は不安定になっていく。
***以下自分語り***
昔から私は、将来小説を書きたかった。
技術的には書けるようになってきた。
初めと終わりのある物語を、読みやすく表現できるようになってきた。
でもまだ足りない。
語るべき内容が、私には十分でない。
40代になったら、本当の小説を書く。
そのために20代では、人間を味わう。
多くの人と交流し様々な人間関係を通じて、この身に他人を深くまで映し出す。
そのために30代では、世界を味わう。
多くの地域を訪れ、様々な文化に触れて、美しい世界をこの身に収める。
そして40代では、自分の世界創造する。
まずはありのままの世界や人間を受け入れられる度量を身に付け、
やがては凝縮した真実を、生き生きと表現できるようになりたい。
変わり行く世界や、チロチロと不安定に揺れる人間を、
そのまま受け入れて愛せるよう、変わっていきたい。
ひょっとしたらこの想いは、道しるべなのかもしれないと、本を読んでいて思った。
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